МОЙ ОПЫТ

 

  筆者は反プーチン派ではないのですが、よくロシアでの反政府的な動きに関しては情報を集めるようにしています。そのなかで昨年の頭くらいにあったことを紹介したいと思います。
筆者はよくロシア人の友人と政治の話をします。ここ数年、友人でもそれ以外のロシア人でも反プーチン派が増えてきたな、という印象を受けます。どうやら彼らはSNSでアレクセイ・ナヴァーリヌィを中心とする反政府活動家の活動を追っているようです。
  ロシアに行くと、日本に比べて経済的な貧しさが目立ちます。とはいえモスクワなど大きな都市ではほとんど日本と変わりません(もちろんトイレは別ですよ。間違いなくトイレ後進国です)。やはり興味深いのは田舎町です。ですから田舎に関係する話をします(このサイトの記事は大体田舎についてです)。

  田舎の街に行くと、都市部とは別の国にいるかのような感じです。そこではお金や食料を中心にみんなでシェアしていることも珍しくありません。住居も友達と一緒に割り勘的な感じで住んでいたり、女の子が友達や元カレのアパートに居候したりなんてこともごく普通のことです。ある女友達は、服だけでなく下着まで借りたことがあるとも言っていました。そんな彼らの生活はなかなか難しいものに思えます。しかし、ロシア人は強いですから、顔に出さず生活している人が多いです。顔に出ない本心を聞くのにはお酒が一番ですから、酒を飲みながらいつも話を聞いています。友人たちは「プーチンがお金を盗んでいる」「プーチンは泥棒 」*よくロシアのデモでは「プーチン ヴォール(プーチンは盗人)」と叫ばれます「国民のことを考えていない」「私たちのことはどうでもいいと思っている」「この街の市長や副市長も金のことしか考えていない」「生活が大変」「給料が安すぎる」などなど 国や市のトップに関して不満を言い、生活が厳しいことを教えてくれます。

  余談ですが、ロシアでは年末から1月7日(ロシアでは1月7日にクリスマス)くらいまでが最も盛り上がる休みの期間で、他の全てのことを頭から追い出して新年を祝うのです(ロシアでは重要な選挙や反体制派への締め付け、マイノリティーへの差別的言動、不正や汚職をこの時期の直前にやろうとする傾向があります。そうすると、いつもなら反政府活動かを中心に憤慨するはずの国民が、不思議なくらいこれらのことに興味を示さないのです)。筆者の友人の一人はもう6年くらい前ですがこう言っていました。「毎日がクソみたいだ。給料は安いし、払われないときもある。ただこの時期だけが一年で楽しく幸せになれるときなんだ。家族や友人と集まって飽きるほど楽しむ。この時間のためにまた一年頑張れるんだ」

  話は戻りますが、田舎町での生活は非常に厳しいのです。家族とも友人とも助け合って暮らしています。話したことのない人同士でも、お互いの気持ちを分かっています。ただここからが問題なのですが、そんなわけですからみんな田舎町を出たがるんです。モスクワやペテルブルグに行きます。仕事とより良い生活を求めて。外国語を学習して海外に移住する人も多いです。一生懸命頑張って、尊敬に値すると思います。ある友人はモスクワで頑張っています。ある友人は日本に来ました。また別の友人はアメリカに行きました。
  そのあとどうなってしまうと思いますか。私は2021年のはじめに、外国で職を得たロシアの友人たちに以前と同じ質問をしました。「今も反政府デモが盛り上がっていて、前よりも参加者が増えているようだけど、(今後の状況を)どう読んでる?」 すると答えはこうです。

「私は今日本にいますから、関係がないです」「私はニュースを見ない。だから知らない。」

!!!!!え!?愛する家族や苦楽を共にした友人はいずこへ!? いつもいつも愛を伝えあっている彼女を本当に愛しているのか!?
  そして「お金は何に使うの?」と聞くと「まあそんなに必要がない。私は小食ですから...まあ日本はちょっと高い。ちょっとじゃなくてすごーく高い。」「村上春樹の本を日本語で読みたかったから買うと思う」と返ってきました。「お金使わないなら家族に送ればいいじゃん。大変さわかってんだから。」と突っ込むと「頭いいね!」なんて言ってくるんです。
  問題なのはこのロシア人の「物忘れ」と「無関心です」です(当然みんながそうだということではありません)。そして「自分だけ例外であればいい」という考え方です。   ロシア人と交流のある人ならばおそらく誰もが経験したであろうこのロシア人の使う魔法「忘却術」は驚くべきものです。「だって君あれだけボロクソ言ってたじゃない!」「昨日約束したばかりじゃない!」というようなことを、どうやっているのか知りませんが忘れることができるのです。
  ロシアで深刻な「無関心」。「自分さえその例外であれば」という考えは「自分さえ良ければ」ということです。他人には無関心になります。例えば貧しかった人がお金を持つと、貧しかった頃の記憶が消え、どんな気持ちだったか、どれだけ大変だったかを忘れます。世界にはお金持ちになると慈善事業をする人がいますが、ロシア人は慈善事業はしません。故アンナ・ポリトコーフスカヤ氏も著書の中で「ロシアの金持ちは慈善事業に興味がない」と書いていました。
  孤児院は法の改正もあって経営が厳しそうですし、物乞いも至る所で見ました。もちろん、物乞いに少額のお金を恵んだり、車椅子の障がい者を目的地まで押していったりする光景は町中で見られます。しかし、厳しい現実をロシアで目にする機会は非常に多く、どうしてもっと助け合いないものかと考えてしまいます。

  日本人であるからこそ、困っている人がいたら助ければいいのにと思うんでしょうか。いつも理解に苦しむロシア人の「私には関係がない」発言の真意をこれから深く探っていきたいと思います。