Цитаты из книг

 

  他の記事でも頻繁に登場する元ニューヨーク・タイムズ紙の記者ヘドリック・スミスが書いた『ロシア人』という本が非常に面白いです。上下巻の2冊の本で、スミス氏がモスクワ特派員時代に経験したことが収められています。この本は1975年にアメリカで出版され、日本語版は1978年に出版されました。今は2021年ですから、約50年前に出されているわけです。内容も50年前のものということになりますから、昔のロシア(ソ連)のことを知るには非常に参考になります。筆者は以前、木村汎氏の『プーチンとロシア人』という本を読んで、スミス氏の『ロシア人』を知りました。ネットで中古しか見つからなかったので、それを買いました。2冊で1000円もしなかったと思います。日焼あとのついたヨレヨレのその本を開いてみるとあら不思議、次の瞬間には筆者はロシアの薄暗いアパートの廊下で登場人物たちの会話を聞いていました。読んでいるうちに現実を離れ本の中に吸い込まれてしまったのです。50年も前の本なのに、自分が数年前に経験したのと同じ事が書いてあるではありませんか!本を買ってこんなに楽しく読めたり得した気分になれたりしたのは初めてです。

  今回紹介するのは「クワスノイ・パトリオティズム」と言葉です。「クワス」というのは、ライ麦を発酵させて作るロシアの飲み物を指します。「クワスノイ」は「クワス」の形容詞形ですから「クワスの~」という意味になります。「パトリオティズム」は「愛国心」のことです。ですから「クワスの愛国心」と訳せます。スミス氏によると、クワスは「こがしたパンに水をしたたり落としてつくるもの」だそうです。そして特徴としては「クワスには麦芽のような風味があり、安いクワスになると、古くなったコーヒーのように、味はニガく、泥水のように濁り、底にカスがたまる」ということです。筆者は思い出しました。そういえば初めてロシアに行ったときに、すごくまずかった、酸っぱくて苦い飲み物を、飲みきれなくて道路脇のゴミ箱に瓶ごと投げ入れた記憶があります。あれはおそらくクワスだったのでしょう。何てことをしてしまったのでしょう。ソ連の代名詞とも言える飲み物を最後まで味わわなかったなんて。
  さてこのクワスですが、今でも町中でよく見かけます。夏と言えばロシアではクワスです。2年くらい前にもモスクワのウスペンスキー大聖堂の隣でクワス(樽から注がれる)を売っている女性がいました。筆者がそうであったように、この飲み物はおそらく外国人には向いていません。スミス氏はこう書いています。「外国人には、一杯飲めばもうたくさんというシロモノだが、ロシア人は何杯もおかわりする」 なるほど、日本人にとっての納豆のような存在でしょうか。スミス氏は続けます。「農家では、それぞれ自家製のクワスをつくる。したがって、"クワスの愛国心"とは土臭く、農民的な、非常にロシア的な愛国心をさすのである」 これは非常に重要です。愛国心という言葉は「自分の国家に対し、愛着や忠誠を抱く心情」「自分の国を愛し、国の名誉・存続などのために行動しようとする心」という意味で使われ、熱心に愛国教育に取り組んでいる国もあります。日本人にはあまりピンとこないかもしれませんが。しかし、一言で愛国心といえどもそれが指すものは国もしくは人によってさまざまあることでしょう。筆者はその手の研究はしたことがないので、アメリカではどうとか中国ではどうとかいうことはわかりませんが、ロシアに関して考えるときには「クワスの愛国心」という言葉を忘れてはいけません。

  スミス氏によると、これは「狂信的愛国心(ショービニズム)」とは違うようで、もっと強力な何かが含まれているのだそうです。おもしろい記述はこれです。「ロシア人には、他にもっといい方法があるのではないかと考えたり、彼らの現体制を根本的に変革すべきか否かなどと思ったりするものはきわめて少ない。これは両親をとりかえられないのと同じで、かれらは盤石の"母なるロシア"に全幅の信頼を置いている」 つまり、ロシア人の愛国心とは「盲目的愛国心」のことなのです。
  この盲目的愛国心は、実に都合よくロシア人に解釈されています。たとえば、ドイツでは、60年代に学生運動が起こりました。これはヒトラーを支持した彼らの親世代への反発でした。2020年7月27日付の朝日新聞デジタルでは「当時17歳の元ナチスに有罪 組織の歯車、追う意味とは」という記事が出ました。いまでもナチスの悪行については裁判が続いているわけです。ロシアではどうでしょうか。スターリン時代のソ連では粛清が行われました。ドイツだけではなく、ソ連でも「ポグロム」といってユダヤ人虐殺が行われました。実はソ連はナチスと同じ事をやっているんです。でも、ソ連人はそんなことは責任問題にしません。ドイツでは虐殺について、狂った独裁者ヒトラーが勝手にやったことだなどど言うことはできません。ドイツ国民がそんなことは許しません。でもソ連では例えば粛正をスターリンただ一人のせいにしておくことができるのです。それに関わった多くの罪深い人たちは裁かれません。戦勝国だからではなく、ソ連では誰もが(指導部だけではありません)事実を伏せておきたいからです。「国家のため」と言われて盲目的にそれを信じ、超えてはならない一線を越えてしまった、そのことを後から振り返りたくないのです。たとえば、ベトナム戦争後のアメリカ兵のように苦しむくらいなら、口を閉ざし、時間と共に忘れてしまえばいいのです。それがロシア(ソビエト)流です。スターリンはソ連を戦勝国にした英雄であり、かつ工業化によってソ連に限定的ながらも発展をもたらした人物として祭り上げられました。粛正の事実はどこへ行ったのでしょうか。一人責任を負うはずの指導者がその責任を負わなくて済むようになり、つまり、誰も何も罪に問われることはなくなったのです。

  筆者はこう考えています。ロシア人が愛国心によって守る対象はロシア人が暮らす「ロシアの大地」である。そして、愛国心を駆り立てるリーダーを信頼し、その言葉を盲目的に信じる、これがロシア人です。
ロシア国歌にはこうあります「南の海より極地の果てへと広がりし,我等が森と草原よ 世界に唯一なる汝、真に唯一なる汝 神に守られた祖国の大地よ!」 大地を讃えていますね。

  最近ロシアでは反政府デモが大きくなってきています。一日に何千人も当局に拘束される事態が発生していますが、筆者は「クワスノイ・パトリオティズム」が関係していると考えています。
  独裁国家において、エリート層の頼みの綱は治安機関です。軍や警察、情報機関は彼らの仕事をすることで(それが目的でないにしても)エリート層を守っているのです。一部の反政府活動家はデモ後に有罪判決を受けて収監されたり、拷問されたりします。治安機関で仕事をする人間にも家族はいて、その人たちがエリート層や治安機関職員でなければおそらく現政権下で苦しんでいるはずです。
  では、なぜ家族を苦しめる政権を守るのでしょうか。
  ロシア人は「クワスノイ・パトリオティズム」に従って行動します。彼らが守りたいのは母なるロシア(母なる大地)です。それを危機にさらす者は取り締まられるべきなのです。なぜなら、国民が連帯感を失い、その間に他国が攻め入ってきて国が崩壊してしまったら困るからです。国民はプーチン政権に何も期待していません。期待しても何もしてくれないからです。唯一してくれることは他国からの侵略に毅然と対応し、徹底的に打ちのめすことです。プーチン大統領を中心とするクレムリンの人間達は、国民の知らないところでどんなことをしていようとも、母なるロシアを守ることだけは忘れません。いかなる命令も母なるロシアを守るために出されるわけですから、従わないわけにはいきません。たとえそれが家族を苦しめようともです。
  他の記事でも出しましたが、19世紀のロシアの歴史家ニコライ・カラムジンのおもしろい名言を改めて紹介します。
  「ロシア人が誇りとするものは、外国からの非難の的になっているまさにそのことである。独裁者に対する限りなき信頼。たとえ彼がどんなに気狂いじみたことを考えついたとしてもである

  ロシアの歴史は戦争の歴史です。天然国境がないロシアは戦争で苦しんできました。ソ連としては大戦に勝ったものの民主化に失敗し、挙げ句解体されて国がなくなってしまいました。混沌の時代が続いたのです。そんな彼らが母なるロシアの存続のために「クワスノイ・パトリオティズム」を信奉することには、何も不思議はありません。   ロシアに行ったときにはロシア人たち(特に治安関係者)と話をして、彼らの苦悩を聞いてみてください。




参考文献:
ヘドリック・スミス(著)、高田正純(訳)(1975) 『ロシア人』(上) (時事通信社)