加速する酒離れ

    ロシアの健康問題といえば、多くの人がアルコールの過剰摂取に関わる問題を挙げるだろう。現在のロシア人の平均寿命は、男性で66歳、女性で77歳[1]となっているが、1994年では男性が57歳で女性が71歳、2004年では男性が59歳で女性が72歳と、特に男性の平均寿命が非常に短かった。これは周知の通り、男性の過剰なアルコール摂取の習慣が大きな原因である。
     しかし、最近のロシア人(特に若者)は健康面を非常に気にかけており、酒をあまり飲まなくなっている。筆者のロシア人の友人でも9割以上の人が飲酒に対して否定的な見方をしていた。祝いの席以外では酒を飲まないという人も珍しくないと言う。
     ただ、そうは言ってもロシアでは、度数の低いアルコール飲料を「ジュース」として認識していた事実があり、人によっては度数の強いウォッカ等は飲まないと言うだけで、シャンパンやワインなどでアルコールは摂取し続けているのかもしれない。
     ロシアでは2011年に当時のメドヴェージェフ大統領が、「アルコール度数が10%未満であってもビールをアルコール飲料として規定する」趣旨の法律(2013年から施行)に署名した[2]。それまでは、ロシアにおいてはアルコール度数が10%に満たないからという理由で、ビールは店で通常の食品と同じスペースに置かれていた。2011年に署名されたこの法律では、まずビールをアルコール飲料として指定すること、次いで、キオスクなどで特定の時間(未成年者が外にいる時間帯)にはアルコール飲料を販売しないこと、また広告等での宣伝もしないことが定められた。これはロシアのアルコール消費量が、すでにWHOの指定する危機レベルの2倍に達していることを考慮してのことである。
     本節の本題からは少し外れるが、飲酒運転に関しても興味深い事実があるため、ここで少し紹介しておきたい。 ビールはアルコール飲料ではないと考えられていたため、ロシアではアルコール摂取後の自動車の運転もある程度までは違法ではなかった。もちろん飲みすぎれば規制の対象になるが、日本に比べればはるかに緩い規制であった。2010年以前は、血中アルコールが1ℓ当たり3gまでの人は運転しても問題は無かったのだ。かつてのロシア人がウォッカを飲む一つの理由として、寒さ対策が挙げられる。ロシアでは特に冬の寒さは厳しい。そこで高い度数のアルコールを摂取することで体温を上昇させようという発想だが、せいぜいそれが続くのは2・3時間が限度だろう。寒くなれば再びアルコールを摂取することになる。雪等の影響で道路が凍っていれば、ただでさえ事故が起こりやすくなるが、そこにアルコールの影響が加わればさらに事故の危険性が高まることになる。
     OECDのデータ によれば、2004時点で、ロシアの人口1000人当たりの自動車数は194台だった。アメリカの768台(OECD中1位)や日本の600台(同7位)と比べて、非常に少ないことがわかる。OECD加盟国ではトルコ(同最下位)以外はロシアより保有台数が多い。しかし、自動車100万台当たりの交通事故数は、ロシアが1241台で、トルコの641台(同1位)や韓国の509台(同2位)に圧倒的な差をつけ、人口100万人当たりの交通事故による死亡者数もロシアは241人で、ポーランドの150人(同1位)やアメリカの145人(同2位)よりも飛びぬけて多い[3]。2005年から2007年の間の経済成長によって、この間自動車の保有率も上がったと考えられる。当然さらに自動車事故も増えたことだろう。
     そういった中で、2010年には飲酒による自動車事故の増加に歯止めをかけるために、新たな法律が導入された。モスクワ・タイムズ紙によると、当時のメドヴェージェフ大統領の下で2010年に導入された法律では、「アルコールを摂取した者はいかなる場合であっても自身で自動車を運転してはならない」ということが規定され、飲酒運転をすれば、罰則を受けることとになった。
     しかし、2013年になってプーチン大統領が署名した改正案では、呼気中アルコール量が1ℓ中0.16㎎に満たない者はしらふであると規定されて、罰則を受けず、また過去に0.16㎎に満たない呼気中アルコール含有量で違反とされて免許を剥奪された者は、その免許を取り戻すことが出来るようになった。改正案では、飲酒運転のアルコール量に関する規制が緩くなった分、0.16mgを超えて運転した者に対して、最初は30000ルーブルの罰金と1年半から2年の免許停止、2回目以降は50000ルーブルの罰金と3年の免許停止の罰則が与えられる。改正前の法律には罰金の規定は無く、免許停止も最大2年だったため、罰則が重くなったと言える。またこの改正案と同時に道路交通法の改正案も出され、速度超過やシートベルトの未装着、運転中の携帯電話の使用に対する罰金の額が上がり、無免許での運転に対してもより厳しい刑罰が導入されることになった。[4]
     法律だけでみるなら、メドヴェージェフ元大統領の署名したアルコールの規制に関する法律は、ロシア人のアルコール消費をある程度抑える効果があったかもしれないが、プーチン大統領の署名した法律によって事態はまた少し逆戻りしたように思える。飲酒運転をしないに越したことは無いと思うが、やはりロシア人の生活はアルコールなしには成り立たないのだろうか。
     しかしながら、先述の通り、最近ではもう酒を飲まないと言い張るロシア人は多い。筆者の知り合いに言わせれば、今のロシアは、10年・20年前のロシア、さらにソ連時代などとは全く違うのだそうだ。
     そこで本節では、20年以上前のロシアとソ連におけるアルコール消費と当時の社会の状況を、1960年から1993年までのアルコール飲料の消費に関するデータも参考にしながら分析し、また今日のロシア人の主張が本当なのかも検証していく。

      

ソ連とアルコール

    ソ連と現在のロシアのアルコール飲料の消費とアルコール乱用 についてまとめたアメリカの国立生物工学情報センター(NCBI) の調査報告書[5]では、以下のように述べられている。

     ソビエトでは、アルコール消費、アルコール乱用、アルコール関連の死亡率や罹患率に関する統計の収集や分析は、長い間無視されていた。統計の収集や分析は、異なる定義と分類でもって各州の機関でデータを共有されることなく行われていたが、1930年代初頭に統計が廃止されて、ゴルバチョフの時代までの約60年間、統計が行われることは無かった。最近の調査では、統計の収集がソ連時代(の空白の60年の間)に続いていたという文書が見つかったが、(データを共有されずに作成された1930年以前の統計と、1930年に統計が廃止されたという事実から)統計の信憑性や有用性はほぼ無い。ゴルバチョフのペレストロイカ後期に出版された統計についても信憑性は無い。60年以上に渡り、アルコール飲料及び、アルコールやワイン産業に由来する州の利益と輸入税は、国全体の収入の12~14%を占めていた。したがって、ペレストロイカ後期のアルコール規制等に関する政府の政策は、国庫に安定した収入を入れ続ける必要性から一種の便宜が図られており、中央当局とソ連共産党によって曖昧に統計が行われた。



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