突貫工事

      

ゆっくりとした日常

    ロシアの田舎町に住んでみると、あまりにもゆっくりした時間の流れに調子を狂わされる。雰囲気で言うと、小さいころ、夏休みに遠いところにいる祖父母の家に遊びに行った時の楽しい時間が、毎日続いている感じだ。まるで緊張感がなく、あまり長くいると逆にそのうち気が狂いそうになってくる。仕事が生活の中心である日本とは違い、ロシアでは家族や恋人、それに友人との時間が生活の中心となっている。仕事を生きがいにしている人は皆無といっていいのではないか。今回のテーマの「突貫工事」は、今よりもそんな特徴が顕著だった60年代後半にソ連に派遣されていた元ニューヨークタイムズ紙記者のヘドリック・スミスが書いた『ロシア人』という本に書いてあるものだ。


ソ連時代の計画経済

    日本の社会の教科書にも書いてあるとおり、ソ連時代は計画経済だった。中央政府が計画し、各工場や企業は、年間のノルマ(生産目標)を割り当てられ、それを達成することが求められた。PDCAサイクルのPをするのが中央政府で、Dをするのが向上や企業の労働者だ。CとAは実質的に行われなかった。労働者は期限ギリギリにノルマを達成させた。誰もそれを責めはしないが、逆に早めに終わらせると追加の仕事を命じられてしまうことはあった。労働者は協力してどの地域でも同じようにギリギリに終わるように仕事のスピードを調整していた。新入りはベテランからこのことを教わり、決してやる気を起こさないようにと忠告された。こうして全く緊張感のないだらだらした日常がソ連時代は続いた。


「突貫工事」の開始

    スミス(1975)によると、ソ連人は給料日前後の数日間(3日間くらい)は仕事をしない傾向にあったという。前3日は給料日を控えてそわそわし、仕事に身が入らない。そして後3日は飲んだくれて仕事をしない。これがソ連人の当たり前だったという。1967年に共産党の閣僚会議で週休2日制が導入されたことから考えると、2日間の休み×4週間+給料日+前後3日間で最大15日間仕事をしていなかったことになる。しかし実際の休みはこれより多かった。なぜならフランスなどのカトリック系の国と同じように、給料日が月に2回あったからだ(一度に使い切ってしまう人が多く、生活が苦しくなっていたため、2回に分割して支払われる仕組みになっていた)。つまり「休み」はこれに7を足して22日くらいあったのだ。給料日は月初めの2日頃と中旬18日頃の2回だ。だから毎月6~15日、22~28日くらいまでがソ連人が「働ける」日であって、そこから土日の日数が差し引かれて労働が行われた。単純に考えて一月22日くらいでこなせる量のノルマを10日くらいで達成するということになる。どんなことになるか想像は容易い。ただでさえ労働がきらいな人たちが、2倍以上のペースでそれをするはずがない。さらにものを作るには材料が必要だ。ソ連全体がこんな感じであったため、必要な材料が届かないという事態も



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