近年のロシアでは、ロシア人の健康意識の変化により、アルコール摂取量の減少や食の安全の強化といった減少が起きている。しかし、それらの事実を認めたとしても、ロシアには他にも健康を害する大きな問題がある。ロシア人が大好きなもの、たばこだ。ロシアの街を歩けば、1日たりともたばこのにおいがしない日はないし、たばこの煙に包まれずにいることも不可能である。ロシア人の中にはアルコールは男性の飲み物だという人がいて、確かに健康を害するほどアルコールを摂取していたのは圧倒的に男性が多い。しかし、たばこは男女共通の嗜好品だ。アルコールで言うところの「健康を害するレベル」の喫煙者はロシアにはごまんといる。そこで今日のロシアでどのような取り組みがなされているかを見ていく。
タバコ規制
ロシアは2008年に、国民を喫煙に起因する病気や死から守るための健康プロジェクトの一環として、WHOと連携する形でたばこ産業への規制強化に乗り出した。このとき参加したのはWHOが設立した「WHO Framework Convention on Tobacco Control(たばこの規制に関する世界保健機関枠組み条約)」だ。これにより、受動喫煙の防止や、不法な取引の取り締まり、たばこの販売促進の禁止や制限といった規制が敷かれることになった。2014年にはロシアのソチで冬季オリンピックが開催された。スポーツの祭典に政治的な事柄を持ち込まないというのがルールではあるが、「独裁国家」に対しては、必ず大きなイベントの前に様々な注文がなされる。そのような事情もあり、受動喫煙防止等々の政策が急ピッチで進められることになった。
規制強化が始まってから、状況はどのように変化したのだろうか。ICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)よれば、ロシアではあまり成果が上がらなかったようだ。ICIJは2012年、「ロシア政府のタバコ規制制度はタバコ産業に乗っ取られている」とする調査結果を発表した。記事によれば、ロシアのタバコ会社が主要な政治家の関連団体に多額の寄付をしていたり、ロシアの大手タバコ会社が有力議員の妻によって支配されていたりするという。それだけではなく、規制当局の人間がタバコ業界とそれを監督する機関の双方を兼職しているケースや、タバコ業界のロビイストが農業省によって選出されて旧ソ連諸国に新たなタバコ規制を適用することを目的とした多国間協議に参加しているというケースもあるという[1]。
たしかにロシアにおいては、規制のための機関を設けてもあまり意味をなさないという場合がある。この国では、ビジネスを始めるときに賄賂を払うのが当たり前だ。警察やギャング、役人に対して「協力金」として賄賂を払わなければならない。それをしなければ、そもそもビジネスをする権利も、その場所でする権利も認められないし、看板などで宣伝することも難しい。トラブルが起こったときに助けてもらうこともできない。もし権力側にコネがあればそのよしみで協力してもらえることはある。大きな会社ならもっと位の高いところに、つまり議員など地元の有力者に、賄賂を送ったり、ビジネスを続ける中で寄付などの形で金銭を渡したりするのは普通のことだ。持ちつ持たれつの関係で成り立っているロシアの経済では、いかなる業界への規制であっても、たいてい誰かしらの有力者の実入りを減らすことになるため受け入れられない。
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国際的な場で決まったルールが気に入らない場合は、そのルールの開始に先行して国内で別の法律が施行され、それに基づいて各業界との契約が行われるため、少なくともその契約期間が満了するまでは国際的なルールは適用されない。このような経緯で、たばこの規制強化に限らず、ロシアでは国を挙げてのプロジェクトが中身の伴わないものになることがある。
ロシアしては良い数字
しかし実際の数字を見てみると、たばこの規制に関しては全く成果がなかったというわけではない。WHOによれば、2019年のロシアの15歳以上の日常喫煙者の割合は、男性約41.8%(34.7%~49.7%の範囲内)、女性約13.3%(10.6%~16.1%の範囲内)となっている[2]。ロシア連邦統計局が発表した調査結果[3]では、男性が40%、女性が11%となっており、2つの調査にそれほど大きな差はなく、信頼できる数値と言えるだろう。ロシア政府の公式発表では、ロシアにおける喫煙者は2009年の時点で、男性約60.2%(58.4%~60.2%の範囲内)、女性約21.7%(16.9%~23.8%の範囲内)となっていた[4]。政府の公式発表で見ると、この10年で男女ともに10%は喫煙者の割合が減少していることがわかる。この数字はロシアの数字としては非常良い。全く成果が上がっていなくても不思議ではなかった。なぜなら、上記のとおりロシアでは、たばこ規制のための政策を緩いものにしようと活動する人間が意志決定の場に多くいるからだ。この流れのまま、喫煙率が下がることを願いたいところである。
コロナ禍後・ウクライナ戦争後のロシア
しかし、2019年以降の喫煙率の減少はこれまでどおりにはいかないだろう。新型コロナウイルスのパンデミックや、ウクライナとの軍事衝突とそれに対する経済制裁等の影響で、ロシア経済とロシア人の生活は幾分かダメージを受けた。新型コロナウイルス関連では、多くの店や会社が潰れた。ロシアでは日本でいう休業補償のような制度はなかった。営業を禁止または制限され、売り上げがない状態でも全て自分たちで必要経費を賄わなければならなかったため、継続が困難になるケースが多かった。またウクライナとの軍事衝突では、当初はモビリゼーション(動員)が行われたため、若者は突然の徴兵に精神的なショックを受けた。また、西側による経済制裁の影響もある。工場の撤退や外国企業との取引停止は、関係する労働者に金銭的なダメージを与えた。一方でこれまで優遇されてこなかった国内産業は以前よりも活発な経済活動を行っている。スーパーなども一時品薄の状態になったが、それに関してはロシアの多角的な貿易政策によって補填され、ほとんど影響を受けなかった。
今回の感染症の流行と国際情勢の悪化は、特に精神面でロシア人に負担を与えた。たばこが精神的な不安を増加させるという近年の調査や研究の結果に反して、多くの場合不安を軽減したりストレスを解消したりするためにたばこが吸われている。ロシアでも軍事作戦で動揺した人は多く、不安解消のためにたばこに手を出す人は増えていくと予想される。経済制裁が発動されても、ロシア人は「パン、じゃがいも、たばこ」という「ロシアの三種の神器」に加えてセックスと酒があれば生きていくことができる。ロシアには歴史的に何度も混乱期があったが、同胞たちと助け合って乗り越えてきた歴史がある。むしろ心配なのは健康状態の悪化だ。「たばこがあれば大丈夫」ということは、「たばこがなければ大丈夫ではない」ということだ。タバコがない状態では心が持たず、たばこがある状態では健康が害される・残念ながらタバコは山ほどあるのだ。西側が当初思い描いていたような「ロシア人が制裁によって悲鳴をあげる(そしてプーチン大統領を引きずり下ろす)」というシナリオは絶対に起こらない。ロシア人は生き、経済も新しいパートナーと共に立て直される。しかし、それはロシア人の健康を危険にさらしてのことだ。いずれにしても間違いなく今後の調査では2019年の調査より喫煙率は上がってくるだろう。
《参考文献》
[1] Moscow’s open, revolving door for big tobacco
https://www.icij.org/investigations/smoke-screen/moscows-open-revolving-door-big-tobacco/
(2023年12月22日閲覧)
[2] WHO "WHO global report on trends in prevalence of tobacco use 2000-2025, third edition"
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://iris.who.int/bitstream/handle/10665/330221/9789240000032-eng.pdf
(2023年12月22日閲覧)
[3] WHO report on the global tobacco epidemic, 2021 Country profile Russian Federation
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://cdn.who.int/media/docs/default-source/country-profiles/tobacco/who_rgte_2021_russian_federation.pdf
(2023年12月22日閲覧)
[4] Глобальный опрос взрослого населения о потреблении табака (GATS), Российская Федерация, 2009 г.
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://cdn.who.int/media/docs/default-source/ncds/ncd-surveillance/data-reporting/russian-federation/ru_tfi_gats_russian_countryreport_2009.pdf
(2023年12月22日閲覧)
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